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明治天皇勅宣碑

長門國桜山招魂場を弔し給へる勅宣

汝等晨に乾綱の不振皇興の不宣を憂へ陣忠致死人をして感奮興起せしむ 朕今巡行追成珠に深し 依って 侍従番長高島昭光を遣し 汝等の墓を弔し旦 金幣を賜ふ宣す
    明治五年六月一二日 明治維新百年記念建之
    昭和四十三年四月十六日 江舟田中育馬謹書

 明治五年(一八七二)明治天皇は、国民の間に新しい君主への尊敬の念をつちかうために、西国の巡幸に出られました。下関には、六月十日から十二日まで御滞在となり、十二日には六連島燈台を視察された帰りに、桜山招魂社へ参詣される予定でしたが、干潮のため中止となり、代りに侍従番長高島鞆之進をつかわし、参詣させました。
このとき金五十円を賜わっています。
  児玉愛二郎の「随幸私記」に、この日のことを次のように記しています。

 六月十二日、晴、暑熱昨日に同じ。六連島燈台臨幸…
(中賂)…十一時御乗艦、午後一時馬関御帰港、還幸の節桜山招魂社へ臨御の御予定なりしに干潮によって直ちに行在所【あんざいしょ】に還御招魂社へ勅使として侍従番長高島鞆之進を差遺し幣帛料金五十円を納めしむ。

 全国で明治天皇勅宣という最初の光栄に浴した桜山招魂場は、さらに防長二州の神霊をも合祀することとなり、山口県知事の命令を受けた南野一郎は、八月二十九日白石正一郎を訪問して、打合せを行ない、九月一日合祀の祭典を執行しました。この日、正一郎は片山貫一郎(高岳)に代わって祝詞を奏上しています。
  明治七年(一八七四)内務省の達示により、招魂祭は官祭となりました。
  碑は、高さ六〇センチ、幅一〇〇センチ、厚さ五五センチの花崗岩でつくられ、台座を含めると高さ四一〇センチにもなる大変大きな立派なものです。

 
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