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桜山招魂場碑

桜山招魂社
主任 南野一郎 石工 石井清吉
明治二十年十一月 建立

桜山神社の上り口石段右側にこの碑があります。
  碑は高さ二〇〇センチ、幅三〇センチ、厚さ三〇センチの花崗岩でつくられており、台石の高さが五〇センチあります。
  祭神として、吉田松陰、高杉晋作ほか三百七十余柱が祭られています。
  元治元年(一八六四)一月二三日、高杉晋作や奇兵隊の発議で、国事に倒れた者を弔祭し、本殿は翌年の慶応元年(一八六五)七月完成しました。
  文久三年(一八六三)五月から始まった、攘夷戦で戦死した者の霊を、この桜山で合葬したことから始まり、のち内戦で倒れた隊士をも合せて祭りました。
  翌慶応二年(一八六六)に四境戦争が始まり、六月一七日小倉口で開戦となり、門司田の浦を占領すると、七月三日大里を攻撃しました。このときの戦死者の霊を、慶応二年七月七日、招魂社へ合葬するために、盛大な式典があげられています。その時の白石正一郎日記には

 七月七日今日招魂場にて六月一七日、七月三日小倉攻戦死の銘々七人の神霊を祭る二付隊中より凡百五六十人出張本陣の武惣管始山県、福田、片野、時山など入来昼一酌して暫時休足夕方より各帰省丙寅丸より船将河野来ル石田鼎も来ル夜ニ入高杉関より帰竹招魂場今日の献供ハ略式ニして正ゆヤ文三へ相頼也

と有り、式場に於いては吟詠がおこなわれています。
  明治五年(一八七二)八月二十八日に、後田にあった報国隊士の招魂場もここに合葬されました。
  吉田松陰、高杉晋作は戦死ではありませんが、維新の先覚者、奇兵隊の創設者として祭られたものです。

 
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