| 略年表 |
| 文久三年(一八六三) |
五月十一日から六月五日にかけ五回にわたって下関海峡を通過する外国艦船を砲撃。
六月五日高杉晋作藩命をうけ下関竹崎白石正一郎の屋敷で奇兵隊結成。 |
| 元治元年(一八六四) |
八月三日より英仏蘭米四か国連合艦隊と馬関攘夷戦。
八月十四日高杉晋作使節となり講和。その際彦島租借の要求を断固拒絶して、下関が外国の租界となるのを防いだ。
十二月十五日高杉晋作、諸隊士をひきい、俗論党討滅のため長府功山寺から決起。その結果長州藩は討幕維新の魁{さきがけ}となるに至った。 |
| 慶応三年(一八六七) |
四月十四日高杉晋作下関で病没。 |
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| 近代日本の夜明けは、吉田松陰以下至誠をつらぬき大義に殉じたこれら数多くの志士たちによって開かれた。明治維新の大業とともに、その功績は長く後世に伝えられなければならない。 |
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